お釈迦様の台座はなぜ『蓮の花』?『お釈迦様の教え』とは?

蓮の花




【蓮の花】は泥水が濃ければ濃いほど、蓮の花は大輪の花を咲かせます。

泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。

泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、蓮の花は小さな花しか咲かすことができません。

大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要なのです。 蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。

▼蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること、そして、その花の中に身があるのが「悟り」です。  つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、ということをお釈迦さまは教えたかったのだと思います。

 

▼人は「悟る」ことが出来れば、迷い苦しみはなくなり、まわりのこと、人、もの、現象が、みんな「幸せに思える」ようになります。

蓮の花2

★お釈迦さまは、美しい花を咲かせるためには、汚い泥が必要であるということを伝えたかったようです。

 

▼私たちはいろいろな悲しみ・つらさ・大変なことを経験しない限り、悟ることはできないという教えです。      

そんな苦難なときが来たら、
「ああ、この結果として私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」と思うことが大切です。

そう思えれば、自分自身にとってものすごく嬉しく楽しく、幸せで素晴らしいこと、そして、有り難いことだと気が付いてきます。

▼それをお釈迦さまは後世の人に伝えたかったようです。

その象徴として、蓮の花が台座に選ばれたのです。

※「悟り」とは受け入れること。受け入れるためには3秒あればよい。
1秒目、過去のすべてを受け入れること。
2秒目、現在のすべてを受け入れること。
3秒目、未来のすべてを受け入れること。

▼「こうありたい」 あるいは「こうあってはならない」と思うことは、どちらも執着ということにほかなりません。

執着していることが、自分にとってのストレスになり、ストレスが体を壊していくようです。

※悟りを開くとは
「仏」すなわち「真理に目覚めた人」になることを言います。
(心の迷いが解けて、真理を会得することの意。)

▼悟りの世界⇒迷いのない安住の地。

▼悲しみ・つらさ・大変なことを否定せず、悟るために必要なものとして受け止めると、この経験が、心を豊かにして、いつでも幸せを感じ取ることが出来ます。

▼人の悲しみや苦労も解る、豊かな心になります。
「心が豊かな人は、いつでも幸せです」。




▼私達は修行の山を、頂上めざして登っているのです。
苦しいのは当たり前です。  でも一歩一歩登っていくごとに苦しさと、学ぶことがあります。

  そして頂上に一歩近づいたという喜びがあります。上に登れば登るほど素晴らしい景色が見えます。 

山登りの素晴らしさは、言い換えると人生の素晴らしさを味わうことです。

  山登りも人生も苦しいからこそ、一歩一歩乗り越えていく度に喜びがあるのです。

 

仏教用語

【輪廻転生】(りんねてんしょう)
回転する車輪がきわまりないように,衆生が死後の世界である三界・六道の間 で生死をくり返すこと。(流転)

【転生】(てんしょう)
来世で別の形に生まれ変わること。

【衆生】(しゅじょう)
生命のあるすべてのもの。仏の救済の対象となるもの。

【迷妄】(めいもう)
物事の道理に暗くて,誤りを真実と思い込むこと。また,その誤った考え。

【三界】(さんがい)
①すべての衆生が生死をくり返す,三つの迷いの世界。欲界・色界・無色界を   いう。
②「三千大千世界」の略。
③過去・現在・未来の三世(さんぜ)。「子は三界の首枷(くびかせ)」

【六道】(ろくどう)
衆生がその業(ごう)によって生死をくり返すという六つの世界。地獄道・餓鬼(がき)道・畜生道・修羅(しゅら)道・人間道・天道の六つ。六趣。六界。

 

※あなたはご自分の前世の姿を考えたことありますか?

必ずしも人間だったとは限りませんね? 

もしかしたら昆虫だったかもしれませんよ。 

あるいは地獄に何百年、いや何千年間も苦しんで居たのを お釈迦様に、たった一度のチャンスを頂いて人間界に修行に来たのかも知れません。

●自分のお腹を痛めて産んだ子供を虐待して殺してしまうなんて…。
親を選ぶ目がなかったのでしょうか?
▼他人に迷惑を掛けず、傷付けることなく、自我の欲望だけに走らず、
困っている人がいたら手を差しのべ、助けてあげましょう!!
現世を有意義に過ごしませんか?

悲惨な事件・事故・犯罪等が少しでも減ることを願っています。