端午の節句は、五節句の一つ。端午の節句、菖蒲(しょうぶ)の節句とも呼ばれて、日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があり、現在ではグレゴリオ暦の5月5日に行われ、国民の祝日「こどもの日」になっていますが、旧暦や月遅れの6月5日に行う地域もあるようです。
■ 端午の節句に欠かせない菖蒲(しょうぶ)は薬草だった
菖蒲庵菖蒲は昔から薬草としてよく使われてきました。
煎じて飲むと腹痛に効く、虫下しになったり 打ち身の治療にも使われてきました。
根は漢方薬として使用され、胃薬、解熱、ひきつけ、創傷などの薬にもなります。
五月五日に菖蒲湯に入るのも、無病息災を念じたものだからです。
葉を数枚入れると独特の香りがして、体が暖まるといいます。
お湯に浸かったやわらかい葉を頭にまくと、頭が良くなる、腹のまわりにまくと病気をしないなど言い伝えがあります。
武家社会のときに、菖蒲がもてはやされたのも尚武(武を尚ぶ)に通じたからとも言われています。
葉の形が剣に似ているので、子供達が束ねて刀の代用として遊びの道具にも使用しました。
この日を騎射節、馬射節と呼び、武技を奨めたという史実も残っています。
「ちまき」と「柏餅」の端午の節句の関係
端午の節句の食べ物といえば、柏餅や粽(ちまき)ですね。これらは、日本で最も古いお菓子の形を残したものと言われています。
柏餅は日本の独特なもので、粽(ちまき)は中国から渡来したものです。
柏餅
柏餅は、柏の葉に上新粉とくず粉(片栗粉)を混ぜてつくった「しんこ餅」に、あんを挟んだものを置き、柏の葉を二つ折りにして包んだお菓子の事です。
柏餅が日本の歴史に登場したのは、寛永年間(1624~1644)の頃のようです。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、 「子供が産まれるまで親は死なない」
即ち「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」は「子孫繁栄」につながり、柏餅は日本で生まれた食べ物だったという事です。
当初は塩餡(しおあん)を用いていたようですが、江戸時代後期になって小豆餡や味噌餡が一般的になりました。
「男児生まれて初の端午には粽(ちまき)を配り、二年目よりは柏餅を贈る…江戸にては初年より柏餅を贈る」
「赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裡(うら)を出して標(しるし)とす」という風習が記されています。
粽(ちまき)
ちまきは、もともと武士が戦に向かうときに持っていく携帯食だったともいわれています。
そのため、抗菌作用のある笹の葉に包むようになったそうです。
戦に行くときの携帯食であったちまきが、なぜ、端午の節句でお祝いとして出されるようになったのでしょうか?
ちまきを食べるようになった風習は、中国から伝えられたものだとされています。
■ 端午の節句にちまきを食べるのは、・・・
紀元前に存在していたという、中国の有名な詩人「屈原(くつげん)」は国王の側近として仕えていましたが、陰謀により国を追われ……。
ついには、悲観した屈原自身は川へ身投げし、命を絶ってしまったのです。それが5月5日のことでした。
屈原の死を悲しんだ国民は、川に身投げをした屈原の遺体が魚に食べられないよう、ちまきを投げ入れ、そちらに引き寄せるようにしたのです。
そしてこれを機に、ちまきを投げ入れる風習は、やがて国の安泰を祈願するものになっていったそう……。
この風習が日本にも伝わり、端午の節句でちまきが出されるようになったのだとか。
端午の節句の定番は、西日本は「ちまき」、東日本は「柏もち」。
端午の節句の定番というと、西はちまき、東は柏もちと分かれていますが、その理由とは・・・
柏の葉は新芽が出るまで落ちないということから縁起物とされています。
しかし、西日本では柏が少ないこともあり、広まりをみせなかったようです。
一方、ちまきは京都の祇園祭でも売られたり、玄関先に飾られたりと関西の人たちにとっては思い入れの強い食べ物なのです。
今では流通の発達によって、ちまきも柏もちもいろいろな場所で食べられるようになりました。
端午の節句は、それぞれの食べ物に込められた意味を感じながら、子孫繁栄を願いたいものですね。
急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。
その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願します。
人々の生きるための切実な思いによるものが、端午の節句が生まれた理由なのでしょう。
■ 五月人形の基礎知識! 兜や弓を飾る意味について
「端午(たんご)の節句」に欠かせない五月人形。兜や弓、太刀など、勇ましい道具が並びますが、端午の節句に、兜や弓、鯉のぼりを飾るようになったのはなぜなのでしょうか?
五月人形を準備するにあたり、知っておきたいその由来と意味をご紹介します。
■ 五月人形の由来・五月人形を飾る意味について
「端午の節句」は、もともと古代中国の季節行事「五節句(七草の節句、桃の節句、端午の節句、竹(笹)の節句、菊の節句)」の1つでした。
「節句」とは、季節の変わり目という意味。季節の変わり目には邪気が寄りやすいので、季節ごとの飾りとお供えものをして厄払いをし、無病息災を願う風習がありました。
現在の5月はさわやかな初夏ですが、旧暦5月は今の6月にあたります。
つまり旧暦5月の中旬以降は、梅雨の時期になるのです。「端午」は、旧暦5月の最初の午(うま)の日という意味なのです。。
武士が台頭してくる鎌倉~室町時代になると、この時期、武家では鎧や兜を出して、家の中に飾る習慣がありました。
梅雨の目前に武具へ風を通し、虫干しと手入れをするためです。
端午の節句に兜や弓が飾られるのは、こうした武家の習慣に由来すると言われています。
兜や甲冑、弓などを戦闘の用具ととらえる考え方もありますが、武将にとって兜や甲冑は、身を護る大事な装備。五月人形の兜や甲冑には、「わが子を守ってくれるように」という願いが込められているのです。
■ 鎧や兜を飾ることの意味
端午の節句の飾りに込められた願いは、男の子が病気や事故などの災厄を逃れ、力強く成長してくれること。
鎧や兜は、身を守るためのお守りとして飾られたのです。
■ 鯉のぼりとは守護を願って目印にしたもの
・「鯉が竜門の滝を登ると竜となって天をかける」という中国の故事があります。「登竜門」という「男児の成長と出世を願う」言葉になりました。
・江戸時代、武家に男の子ができたら玄関の前に馬印やのぼりを立てて祝う風習がありました。
■ 鯉のぼりの色々?
いつ頃から飾ればいいの?
■ 節句人形はいつ頃から飾ればよい?
節句人形の一夜飾りは厳禁。最低でも1~2週間前までには飾るようにしましょうもちろん、早くから飾っても全く問題はありません。
2月下旬から4月上旬が、五月人形が最も多く店頭に出る時期です。このタイミングは逃さないようにしましょう。
五月人形は兄弟それぞれに用意しなければならないの?
基本的に人形は、人の厄を身代わり、願いを背負うものなので、一人一人に用意するのが理想です。
スペースの都合でいくつも飾れないときは、武者人形などを次の子の分として用意することをおすすめします。
五月人形は代々受け継いでもいいの?
五月人形の本来の目的は、お子様の健やかな成長を祈るためのもの。本来はひとりひとりに用意するものであり、お子様が無事に成長した時点で、その役目を終えます。
そのような意味合いがあるので、出来る限り新しいものを準備してあげるようにしましょう。ただ、お父様やお母様の節句飾りをお子様の節句飾りと一緒に飾ることは問題ありません。
愛情を注いできた雛人形、五月人形、こいのぼり、武者人形、の供養はどうすれば良い?