鷹
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日本の歴史を振り返れば、時の権力者たちは特権的な「養生」を行っていた。時代を彩った偉人の特権的な“裏ワザ健康法”を紹介しよう。

健康マニア

として特筆すべきは、江戸幕府260年の礎を築いた

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徳川家康(享年73)だ。

戦国武将は現代人以上に体調に気を使っていた。

体調を崩すことは、自らの身に危険が及ぶどころか、一族の命運まで尽きてしまう程の過酷な時代にあって、自身の健康に配慮するのは、武将としては至極当然なことである。

特に徳川家康は44歳の時に、背中に腫瘍ができる大病を患ったことをキッカケに健康志向が強くなったようだ。

戦国時代

享年73と言うのは、恐るべき高寿命ではなかろうか。

多くの肖像画に描かれるとおり恰幅のよい体形(腹回りは120cmもあったという)で完全なメタボ体型だったが、若いころは剣術、弓術、馬術を極めたバリバリの“体育会系”だった。

そうして鍛えた丈夫な体に過信することなく、実に多くの健康法を実践している。

食へのこだわりは尋常でなく、季節の外れたものや冷たいものは絶対に口にしなかったと言う。

織田信長から贈られた桃を「季節外れ」を理由に食べなかったというから筋金入りだ。


そして、

粗食である。

地元三河の八丁味噌を丸めて焼いた焼き味噌や麦飯を好んで食べていたようだ。

戦場で食べる保存食の干し飯(ほしいい・炊いたコメを乾燥させたもの)は、真夏でも必ず焼いて食べたという。

そんな家康が異様なほどの情熱で取り組んだのが「鷹狩り」だ。

家康が家臣に鷹狩りの効用について次のように述べた記録が残っているという。

「これは単なる遊びではない。遠く郊外に出かけるから、民衆の生活ぶりがつかめる。それ以上に運動になる。

朝早起きして走り回るから、夜もぐっすりと眠れる。眠ってしまえば、男女の交わりからも遠くなり、おかげでむやみに精力を消耗することもない」


鷹狩りの目的としては領内視察のほか、軍事演習の意味合いも大きかったでしょう。将軍職を秀忠に譲り駿府に隠居した後も、大坂城には豊臣秀頼がおり、徳川政権はまだ完全に安泰ではなかった。

鷹狩りは軍事演習を兼ねた健康法だったわけです」 一般に

鷹狩り

は特権階級の娯楽や権威の象徴だった。

徳川家康のお供となれば、相当な人員、また費用をかけたと思われる。

乱世の覇者らしい、なんとも理想的で合理的な健康法だ。

また薬草学にも精通しており、自ら調剤できる程の専門家でもあった。